呉川遺跡は1987年、浸水対策の目的で実施された芦屋市の幹線改修工事に伴い発見された遺跡で、大坂城再築用石材の集石場と考えられています。
天下の名城、大阪城の石垣は、その規模からみて莫大な量の石材が使用されています。
その供給地のひとつが東六甲の山間や山麓で、現在までに六甲花崗岩の巨石を対象とした多数の採石場が確認されています。採石場には、表面に符号や文字を彫り込んだ刻印石や矢穴列を彫り込んだ石などがみられ、すべてが大坂城へ運ばれたわけではなく、採石場や運搬経路上に残石として見いだされます。
これらの石材は、慶長20年(1615)の豊臣氏大阪城落城後、元和6年(1620)より3工期に分けて行われた徳川幕府による大坂城大修築に伴うもので、呉川遺跡はその立地から大坂城に向けて石材を海送した船着き場(集石場)とのとの推定がなされています。
1987年の工事で発見された石材は9石で、うち6石に6種9個の刻印が認められました。
この石材は、現在、芦屋市立美術博物館の前庭に野外展示されています。
ここに移設保存されている4個の石材は、1993年12月に芦屋中央線の整備工事に伴い土中から出土したもので、2・3号石材には出雲松江藩堀尾家の分銅形刻印が認められます。この刻印は、北方岩ヶ平の採石場に最も認められ本遺跡とルート的にみても関連深いことを裏づけています。
芦屋市教育委員会
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