
古墳時代中期後半(5世紀後半)に築造された帆立貝形の前方後円墳です。もともとの墳丘の長さは約55mありましたが、鎌倉時代~室町時代の耕作地開発によって前方部が削られてしまった結果、現状は直径42mの後円部だけが円墳のように残っています、これまでに古墳の周辺で発掘調査を数回実施し、墳丘をめぐる周濠がみつかり、埴輪の破片などが多数出土しています。
また、金津山古墳には、阿保親王(平安時代の皇族。在原業平の父)にまつわる伝説があります。これは、昔々、打出の村人たちを愛した阿保親王が万一の飢饉に備えて黄金一千枚、金瓦一万枚を埋めさせたという伝説で、地域で語り継がれてきました。
看板より
あしや情報、随時募集中!
イベントの紹介、情報の追加は無料です。
ご依頼はこちらから※掲載している情報は掲載当時の情報となります。最新の情報に関しては各イベント責任者や店舗にお問い合わせください。